たそがれにゃんこです。旅が好きです。とくにアジアの国を旅するのが好き。ヨーロッパにも行きたいのですが、1週間ちょっとの休みで行くならアジアになってしまいます。退職して時間的自由が手に入るまで、ヨーロッパはお楽しみに取っておきましょう。

開放感が全身に広がります
バカンス先で 何して過ごす?
みなさんはバカンスでは、どんなことをして過ごされますか?
もちろん目的地によりますが、わたしはリゾート地へ出かけるときは、ひたすら何もせず、自堕落に過ごすことが多いです。同行者は夫の場合がほとんどなので、ホテルで朝食をとったあとは、プールサイドでダラダラ過ごす。夫は午前中からビールやワインをデッキチェアーでいただきます。お酒を飲めない私は、同じくデッキチェアーで本を読んだり、それにも飽きると夫を置いてふらっと出かけて、近所の街スパでマッサージを受けたり、ネイルをしたり。
ランチもそのままプールサイドに運んでもらって済ませ、午後ものんびり泳いだり、お昼寝したり。陽の高いうちは暑さでやられるので、極力じっとしています。

そしてサンセットを見届けたら、やっと行動開始。街歩きに出かけます。そうはいってもショッピングや観光などに興味のない夫と一緒ですから、ただただ街をぶらついて夕食をとり、気が向けばマッサージを受ける、お土産やをひやかす…ほんとうに呆れるほどに自堕落ですね。我が家のバカンスのテーマは、毎回、
クズになりに行く
ですから。
リゾートの一歩外では物乞いの姿が
日本以外の国では、路上生活者や物乞いの姿を街で見かけることは、珍しくありませんね。わたしが大好きなバリ島でもバンコクでも、うつろな目で赤ん坊を抱いて手を差し出す物乞いの女性を何人も見かけます。
わたしはお子さんに英語を教える仕事をしているので、同僚は英語を話す外国人が多いのですが、そのうちの一人と先日、旅行のことを話していて、彼が言った言葉が印象的でした。
せっかくお金をかけて休暇を取って旅行に行くのに、物乞いなんて見たくない。ゴミが一杯の汚い場所も見たくないし、買い物でボラれるのも、まっぴらだ。
…と。彼はトランプ支持派のアメリカ人なのですが、物事に対する感じ方は人それぞれで面白いと思いました。わたし自身は、ゴミを漁っている路上生活者の姿を見かけてもそういう現実があるんだ、ここには..と思うだけだし、飲食店で伝票に飲んでいないビールが加算されていれば、「一本しかオーダーしてないから、直してちょうだい」というだけです。余分にお金を取ろうとしてきたことに、こちらが気づかなければそれまでのこと。
物乞いが貧困ビジネスの一端に

それでも時に、物乞いの姿に違和感を感じることがあります。バリ島のウブドであった物乞いの女性は、お決まりの粗末な身なりでその腕には死んだように眠っている赤ん坊。でもあきらかにおかしい。「あなた、いくつよ?その子本当にあなたの子?」と突っ込まずにはいられない。どうみても60歳前後の初老の女性が生んだ赤ん坊とは考えにくい。
後で聞いた話では、多くの国で物乞いはビジネスとして成り立っていて、物乞いを束ねている組織がすべてを取り仕切っている。 粗末な身なりや赤ん坊は効果的な商 売のアイテムであり、 組織が 、雇っている物乞いにこれらのアイテムを貸し与えて、働かせているケースも多いとか。
なので、いくら物乞いにお金を渡しても、売り上げは裏組織がピンハネるばかりで、物乞い本人の手には渡らない…よって物乞いに金銭を渡してはならない…と主張する方もおられます。
先の同僚のアメリカ人もそれは同じ考えで、同様に慈善団体への寄付なども、その使われ方が不鮮明だから、基本寄付は一切しないと、彼は言っていました。
確かに物乞いに金銭を与えることが、裏組織を潤すことにつながり、貧困ビジネスを通してますます世界の持てる者、持たざる者の格差を広げることに加担する可能性はあります。
非ゼロ和な世界って可能なのか
非ゼロ和ゲームというKIRINJIの曲をご存じですか?
わたしも非ゼロ和という言葉は、このKIRINJIの曲で初めて知りました。簡単にいってしまうと、
ある人の利益が、必ずしも他の誰かの損失にならない状況
だそうです。ジャンケンのようにわたしが勝てば、あなたが負ける…のではなく、誰かのハッピーが他者の損失を招かない世界。さらに言えば、ゲーム参加者全員がwin-winになれたら最高。でもこんな世界って、一体実現可能なのでしょうか?
先ほどの物乞いへの施しの話に戻りますが、物乞いをしている方の皆が皆、裏組織に雇われているわけではないでしょう。中には本当に今日食べるものもなくて、施しを求めてる方もいるはず。それでも裏組織の資金源になるだけだから…と一切施しを与えずに済ますのか…わたしはいつもそこで思考が立ち止ってしまいます。
かならずしも金銭でなくても、手持ちの食べ物をあげてもいいわけです。それなら仮に雇い主がいたとしてもピンハネられることはない。
それよりも施しをあげたいと思うかどうか、自分の心にちゃんと聞いてみればいい。「なんだか胡散臭いぞ、あげたくない」と思えば ”no money” とスルーすればいいし、「この人には、あげたい」と思ったら渡せるだけのお金をあげればいい。どこかに寄付したいと思ったら、「きっと役立ててくれる」と信じて寄付すればいい。
わたしがいけないと思うのは、見なかったことにすること。自分のこころに聞いてみるという、ひと手間を省くこと。
- 自分はいかなる時も損をしたくない
- 誰にも騙されたくない
- 他の人が自分より得をするのは許せない
うまく言えませんが、こんなスタンスは、非ゼロ和な世界の対極にあると思うのです…と、同時に自分自身にとってもそんなスタンスは足かせになってしまう。軽やかに生きて行こうとするときに。
非ゼロ和な世界って、可能かどうかの問題ではなく、この先目指すしかないんですね、きっと。
